J. Hawthorne (2002) “Lotteries, Lewis and Preface” 読後メモ

J. Hawthorne (2002) “Lotteries, Lewis and Preface” は、D. Lewisの文脈主義に対する厄介な問題を提示し、Lewisに寄り添いながらその解決を目指す論文である。

 

 提示される問題は次の通り。ベンは5000人の友達がおり、全員がギャンブルで負けまくってスッカラカンになっている。そしてベンは、彼の友人たちについて、そのライフスタイルをよく知っている。ところでその5000人がみんなある宝くじを買った。ベンは、この5000人がくじを買ったことを知っている。また、くじが全部で5001枚だということも知っている。なお、残りの一枚は彼の友人ではない人が買った。そして、この時点では誰も知らないことなのだが、実はベンの友人でないその人のみが当たりだった。さて、この状況で、知識帰属者は「ベンはビルが金持ちになることはないだろうと知っている」と述べるとしよう。ここで知識帰属者は、ベンがくじに当たる可能性に注目しておらず、その可能性を適切に無視している。

 Lewisに従えば、この文脈において、知識帰属は真である。さらに次のように続けることができる。ベンの友人ハリーについても、「ベンはハリーが金持ちになることはないだろうと知っている」と知識帰属者は述べる。とまあこんな感じで5000人の友人のそれぞれについて、知識帰属者はベンに「その人が金持ちになることはないだろうと知っている」と述べるのである。全て同じ文脈で発話されていると仮定すれば、いずれの発話における「知っている」も同じ関係を表しているはずであり、いずれの知識帰属も真であるはずである。

 ここで、この文脈で「知っている」が表す関係をKとおこう。ベンは、<彼の5000人の友人のうちいずれも金持ちにならない>という命題とK関係にある。そして、閉包原理より、ベンは<彼の5000人の友人はくじに外れる>という命題ともK関係にあるはずである。加えてベンは、<宝くじが5001枚だ>という命題とK関係にある。これより、閉包原理から、<彼の友人でない一人がくじに当たる>という命題とK関係にあることになる。ベンは、新しい情報を何も得ることなく、ある人がくじに当たるということを知ることができてしまうのである。

 

 Hawthorneによる解決はシンプルである。ただし、その中身に入る前に一つ予備的考察が必要である。Lewisは知識帰属に関して「信念のルール」を課す(主体が高い確信度を持っている可能性は適切に無視できない)。ところで、<ビルはくじに負ける>は、十分にspecificではないので、Lewisの意味では可能性ではない。そこで、この宝くじ命題を扱えるように信念のルールを次のように改訂しておく。

新しい信念のルール:もし命題Pが主体によって十分高い確信度を与えられているか、与えられるべきであるならば、Pのサブケースを構成する可能性の全てを適切に無視することはできない。

 では、本題に入ろう。我々は先に、知識帰属者の種々の発話行為がなされる文脈がただ一つ存在し、それゆえに各々の発話において「知っている」が同じK関係を指していると想定していた。これを否定するのである。帰属者が「ベンはビルが金持ちになることはないだろうと知っている」と述べる際には、彼はビルがくじに勝つ可能性を適切に無視している(それゆえに、この文脈のもとではベンはビルがくじに負けることを知っていることになる)。しかし、この時「新しい信念のルール」によれば、ベンはビルが金持ちになることはないということに高い確信度を与えているので、ビルが金持ちになっていない(くじに負ける)ということを構成するサブケース(ハリーがくじに当たっている;ゲラルドが当たっている;...)の全てを知識帰属者は無視することができない。それゆえ、ある友人がくじに当たる可能性はrelevantなのである。

 さて、続けて「ベンはゲラルドが金持ちになることはないだろうということを知っている」と帰属者が述べたとしよう。もしかすると直前の主張でビルが勝つ可能性が無視されており、それが継続しているかもしれないので、この段階ではビルが勝つ可能性は無視されているかもしれない。しかし、帰属者がこの手の発話を続けているうちに、遅かれ早かれ今度はビルが勝つ可能性がrelevantになるだろう。Hawthorneの考えに従えば、この手の発話をする中である可能性がrelevantかどうかが変わっていってしまう。そしてそれゆえに、帰属者が一連の発話をなす間、「知っている」の意味論的値は決して一定ではないのである。