知識ロンダリングー鋭敏性不変主義とTransmission principleー

最近読んだJ. MacFarlane (2005). "Knowldge laundering: Testimony and sensitive invariantism" という論文が面白かったので紹介する。

 

知識帰属に関して「鋭敏性不変主義」と呼ばれる立場がある。これは、文脈主義のように「知っている」という語の意味(それが表す主体と命題の関係)がその語の使用の文脈に応じて変化しうるとは考えずを否定し、「知っている」という語の意味は文脈に対して不変だとする〔それゆえに不変主義〕。その上で、主体が当該命題に対して「知っている」関係のもとに立っているかどうかが、評価の状況における主体のpracticalな状況に依存する、と考える立場である。この立場と、証言による知識に関する(controvertialではあるが)広く受け入れられているとされる次の原理の折り合いが悪い、というのがこの論文の趣旨である。

Transmission Principle: If B knows that p, then if B asserts that p and A accepts B’s testimony without doxastic irresponsibility, A also comes to know that p.
ここで "without doxastic irresponsibility" というのは、話者の言っていることが偽だったり、あるいは話者が信頼できなかったりするために聞き手が話者の証言を無視するようなケースを排除するために付けられている。
 
鋭敏性不変主義とTransmission Principleを同時に受け入れると、次のような変なことが起こる。
 アーノルドとベスは車を一台シェアしており、その車はいま車庫*1においてあるとしよう。ベスは数時間前、出勤する直前に、車が車庫にあるのを見た。そしてまたベスは、アーノルドとベスの二人だけが鍵を持っており、しかもアーノルドは今週ずっと町の外にいることを知っている。これらは車が車庫にあると信じるたいへん良い理由である。
 ところでベスは、今日か明日に自動車保険をかけるかどうか決めようとし、それゆえに車が車庫にあるかどうかに関する認識的基準が跳ね上がったとしよう。ここでベスに要求されるのは、ベスが出社したのちに車が盗まれているという可能性を排除できることである。この可能性が排除できない限り、ベスは車が車庫にあるとは知らない、ということになる。
 ところでアーノルドは、依然として低い認識的基準の下にあるとしょう。さて、ずっと出かけていた彼は空港に到着し、晩飯のことなどを考えている。アーノルドは、車が車庫にあると信じる理由を持っていない。なぜなら彼はここ一週間出かけていたし、ベスが車で会社に行くこともあるから。そこでアーノルドはベスに電話をかけて「車は車庫かい?」と尋ねた。ベスは「そうね、私は朝そこにおいてきたからね」と答えた。アーノルドはこの証言を疑う理由を持っていないので、Transmission principleより、ベスは朝に車を車庫に置いてきたのだということを知り、そこから推論して、車は車庫にあるのだと知った(アーノルドの認識的基準は低い)。*2
 さて、二時間後、アーノルドはベスへのサプライズプレゼントを買うためにしばらく空港にいたので、まだ帰宅しておらずタクシーの中だった。そこにベスから電話が入る。ベスはまだ、自動車保険に入ろうかどうしようかと考えており、アーノルドはとっくに帰宅しただろうから車庫に車があるかどうかアーノルドに聞いてみようと思い電話をかけてきたのだった。「車は車庫にある?」と問われたアーノルドは、彼が車を持ち出したかどうか確かめるために電話をしてきたのだと解釈し、「まだ車庫にあるよ」と自信満々に答えた。ベスは彼の証言を信じた。彼女には、アーノルドを信用できないと考える理由もなかったし、彼が帰宅していないと考える理由もなかった。それゆえ、Transmission principleに従えば、ベスは車が車庫にあるということを知っていることになる!
 何が起こったのか。アーノルドは、ベスが与えた以上の証拠を新たに獲得したわけではない。ベスは彼女の証拠を、より低い認識的基準の下にあるアーノルドを介して循環させるだけで、単なる信念を(高い認識的基準を超えた)知識に変えてしまったのだ。これが「知識ロンダリング」である。なかなかに反直観的な帰結ではないだろうか?このような帰結を受け入れたくなければ、もしMacFarlaneの議論が正しいならば、鋭敏性不変主義かTransmission Principleのどちらかを諦めなければならないだろう。
 ちなみに知識ロンダリングは、過去の自分の証言を頼るような状況を考えることで、登場人物が一人だけの例を作ることもできる。元の論文では、ありうる反論に対する応答もあるので興味のある人は確認してほしい。短い論文なので。
 
 

*1:元の論文ではdrivewayだが、イメージしにくいし訳しにくいので車庫にした。

*2:補足:この電話の時点でベスが既に高い認識的基準の下にあるなら、彼女は車が車庫にあることを知らないので、Transimission Principleの前件が満たされないはず。この時点ではまだベスは保険をかけるか悩んでおらず、基準が低いと考えるべきだろう。悩み始めるのはこの電話の後だ、としないとマズイはず。